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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)457号 判決 1973年5月31日

原告

小野雅子

ほか二名

被告

日の丸自動車株式会社

主文

一  被告は原告小野雅子に対し金八四一万二、五七九円および内金七九一万二、五七九円に対する昭和四六年二月七日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告小野綾子に対し金一二二二万五、一五八円、原告小野和鹿に対し金五〇万円および右各金員に対する昭和四六年二月七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その一を被告の各負担とする。

五  この判決は、主文一、二項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告ら「1 被告は原告小野雅子に対し金一、九一四万九、七一四円および内金一、八六四万九、七一四円に対する昭和四六年二月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。2 被告は原告小野綾子に対し金三、三一三万〇、五二九円、原告小野和鹿に対し金二〇〇万円および右各金員に対する昭和四六年二月七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。3 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行宣言

被告「1 原告らの請求を棄却する。2 訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二当事者の主張

一  原告ら 請求原因

1  (事故の発生)

小野茂樹は次の交通事故によつて死亡した。

(1) 発生時 昭和四五年五月七日午前一時三〇分頃。

(2) 発生地 東京都中央区銀座一丁目一六番五号先昭和通り上

(3) 事故車 事業用普通乗用自動車(足立五を五二六九号、訴外向後稔運転、以下「甲車」という。)

(4) 態様 本件事故現場の道路はコンクリート製の分離帯により中央寄りが地下道、左側が平面道路に区分されているが、茂樹が乗客として同乗していた甲車が右地下道入口のコンクリート分離帯に激突し、その衝撃により同人が路上に転落した。

(5) 死亡日時 同日午前八時四〇分。

2  (責任原因)

被告は甲車を所有し、自己のタクシー業務のために使用して、運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任がある。

3  (損害)

(1) 葬儀費用等

原告雅子は茂樹の事故による傷害および死亡に伴い、医療費、葬儀費用等として合計六三万〇、二五〇円の出損を余儀なくされた。

(2) 逸失利益

茂樹が死亡によつて喪失した得べかりし利益は次のとおり五、一六九万五、七九二円と算定される。

(イ) 給与分 二、九九〇万八、三三六円

茂樹は死亡当時三三才五ケ月であつて、訴外株式会社河出書房新社編集部に勤務し、同社から月八万八、七〇〇円の給与を得ていたが、同社における年昇給率は一三パーセントであつたので、昭和五〇年度まで毎年一三パーセントの昇給を見込み、その後は満六三才に達する昭和七四年一二月まで月一六万三、四二四円の給与を得られたはずであり、それから同人の生活費一ケ月一万七、七八三円(昭和四五年度総理府統計局都市勤労者生計費統計による)を控除した金額を基礎にして、ホフマン式(月別)計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、昭和四六年一月より昭和七四年一二月までの給与の死亡時における現価を求めると、二、九四一万一、九一七円となる。従つて右金額に昭和四五年六月から同年一二月までの給与から前記生活費を控除した金額四九万六、四一九円を加えた二、九九〇万八、三三六円の給与損害を蒙つたことになる。

(ロ) 賞与分 一、四〇八万七、一九七円

同人は前記会社より一年間に、少なくとも月給与の五ケ月相当の賞与を受けることができたものであるから、前記月収を基礎にして満六三才まで年に五ケ月相当の賞与を毎年末に受けるものとし、その死亡当時における現価をホフマン式(年別)計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、一、四〇八万七、一九七円となり、同額の賞与損害を蒙つたことになる。

(ハ) 退職金分 二二六万七、〇一七円

同人が満六三才で退職したとすれば、一ケ月の給与額に勤務年数三四年(昭和四〇年七月入社)を乗じた額を退職金として受領し得るところ、右退職金の死亡時における現価をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると二二六万七、〇一七円となり、同額の退職金損害を蒙つたことになる。

(ニ) 副業収入分 五四三万三、二四二円

同人は当時副業として訴外有限会社三崎書房の依頼を受け、雑誌「エロチカ」の編集に従事しており、月額二万四、五〇〇円の報酬を受けていた。右金額を基礎にして昭和四六年一月より昭和七四年一二月までの右副業による収入の死亡当時における現価をホフマン式(月別)計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると五二六万一、七四二円となり、これに昭和四五年六月より同年一二月までの右副業による収入一七万一、五〇〇円を加えた五四三万三、二四二円の副業収入損害を蒙つたことになる。

(ホ) 相続

原告雅子、同綾子はそれぞれ茂樹の生存配偶者、唯一の子として、それぞれ法定相続分に応じて茂樹の損害賠償請求権を相続した。その額は原告雅子において一、七二三万一、九三〇円、原告綾子において三、四四六万三、八六二円である。

(3) 原告らの慰藉料

茂樹の突然の死により、原告雅子は若い未亡人、原告綾子は父の顔も知らない子となり原告和鹿は老いて唯一人の子を失つた。

原告らの右精神的損害を慰藉するためには、原告らに各二〇〇万円が相当である。

(4) 損害の填補

原告雅子および原告綾子は自賠責保険から五〇四万五、八〇〇円の給付を受けこの内金一七一万二、四六六円を原告雅子の前記損害に、残金三三三万三、三三三円を原告綾子の前記損害に各々充当した。

(5) 弁護士費用

原告らは、被告が任意の支払いに応じないため、その取立てを弁護士である本件原告ら訴訟代理人に委任し、原告雅子において、原告ら三名分について手数料として五〇万円を支払つたほか、第一審判決言渡時に成功報酬として五〇万円を支払う旨約した。

4  (結論)

よつて、被告に対し、原告雅子は一、九一四万九、七一四円および右金員から本件訴訟代理人に対する成功報酬金五〇万円を控除した一、八六四万九、七一四円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四六年二月七日から右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告綾子は三、三一三万〇、五二九円、原告和鹿は二〇〇万円およびこれらに対する右同様の各遅延損害金の各支払を求める。

二  被告 請求原因に対する認否・反論

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の(1)ないし(3)の事実は不知、同(4)のうち五〇四万五、八〇〇円の給付があつたことは認め、その余の事実は不知、同(5)のうち原告らの請求に対し被告が任意弁済に応じなかつたことおよび原告らが本件訴訟を原告ら本件訴訟代理人に委任したことは認め、その余の事業は不知。

3(1)  そもそも死者に権利が発生することあり得ないから、逸失利益の相続ということはあり得ず、また、それを認める必要もなく、扶養請求権の侵害されたことによる損害と見ればよい。そして、この期間は原告綾子については二〇才までで足る。

(2)  仮に逸失利益の相続が認められるとしても、原告ら主張は以下の点で不合理である。

(イ) 茂樹の勤めていた河出書房新社には、明確な昇給規定も、退職金規定もないのであるから、昇給や退職金を認めることはできない。また同社は一旦倒産したことのある会社であるので、一時的に五ケ月分相当の賞与があつたとしても今後将来にわたつてもそうであるとの保証もない。さらに、副業収入については、右会社の容認しているものでなく、内密にやつているものであるから、逸失利益算定の基礎とすべきでない。

(ロ) 算定にあたつては、所得税、住民税も控除されるべきであるし、中間利息もライプニツツ式によるべきである。

(ハ) 茂樹の生存していた場合の生活費は収入の二分の一を下らないことは経験則の教えるところである。

(ニ) 茂樹が収入を得ることができるには、配偶者たる原告雅子の内助の功が寄与しているから、右協力分として逸失利益の二分の一を控除すべきである。

(ホ) 茂樹は、死亡していなければ、稼働可能期間経過後も平均余命の期間生存すべきものと考えられるから、最終収入年の収入の二分の一を右期間内控除すべきである。

三  被告 免責の抗弁

原告ら主張の日時場所において、甲車を運転していた訴外向後は、同所の地下道へ進行しようとしたところ、右地下道は工事中であるにも拘らず、その工事に当つていた訴外株式会社電工社において、地下道入口に灯のついていない通行止の三角標識を並べただけで他になんらの標識を設けなかつたため、右標識を約一五メートル前で発見し、急拠ハンドルを左に切つたが間に合わず、甲車右後部をコンクリート製の分離帯に接触させて、半回転し、そのはずみで被害者茂樹が車外に放り出され路上に転倒した。

従つて同運転手には運転上の過失はなんらなく、事故発生はひとえに電工社の工事責任者太田久雄の過失によるものである。

また被告には運行供用者としての過失はなかつたし、甲車には構造の欠陥も機能の障害もなかつたのであるから被告は自賠法三条但書により免責される。

四  原告ら 抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。本件事故は甲車の運転手の過失によるものである。

第三証拠〔略〕

理由

一  (事故の態様と責任の帰属)

請求原因1および2の事実は当事者間に争いがない。

そこで、本件事故の態様について判断する。〔証拠略〕によれば次の事実が認められる。

(一)  本件現場付近の道路概況は、別紙現場見取図のとおりであつた。そして、上野方面に向つて道路の中央部分が立体地下道入口となり、西側の平面道路との間はコンクリート製の分離帯で区分されていた(この点は当事者間に争いがない。)。なお、当時当該地下道入口付近には水銀灯が設置され暗くはなかつた。

(二)  本件事故発生直前、本件地下道において照明灯の増設工事が完了し、その照度測定作業がなされていて、本件地下道は通行止とされ、その入口付近には赤色カラーコーン(高さ七〇センチメートルの円錐)五個、赤色および黄色回転灯各一基が設置されていたが、事故発生の約五分前に右作業がすべて終了したため、当該工事の責任者太田久雄らは右各回転灯等の電源を切断し、右通行止めのための設置物を撤去しようとしていた。

(三)  現場付近の制限速度は時速四〇キロメートルであり、しかも降雨中ですべり易い状況にあつたのに、甲車運転者向後稔は時速九〇キロメートル前後の速度で新橋方面から上野方向に向けて進行中、別紙図面<1>の地点に至つたときはじめて、約三〇メートル前方にカラーコーン等を発見し、地下道が通行止となつていることを知り、そこで同<2>の地点に至つたとき、左側の平面道路に進行すべく急制動の措置を取りながらハンドルを急拠左に切つたため、降雨のため路面が湿潤であつたこともあつて、横すべりの状態で滑走し、同<3>の地点でコンクリート製の分離帯に甲車の右側後部ドアの部分を激突させ、同車は半回転して、同<4>の地点に停止したが、茂樹は同<ア>の地点に転落していた。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実によると甲車を運転していた向後は、自動車運転手としては特に降雨中にあつては、法令によつて定められた最高速度を守つて運転するのはもちろん、進路前方左右を注視し道路状況に即応できるようハンドル・ブレーキ等の操作を適確に行ない、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、時速約九〇キロメートルの高速度で、かつ前方注視不十分のまま走行した過失を犯し、これにより、障害物を発見した時には、既に適確なハンドル・ブレーキ操作をすることができず、本件事故を惹起したものと言わねばならない。

もとよりカラーコーン等が無灯火の状態にあつたことが、その発見を遅らせる一因となつたであろうことは推認できるが、現場付近が明るく、かつ、見とおしも良かつたことを考えると、向後において制限速度を守つて走行するか、もしくは、十分なる前方注視を尽していれば、本件事故発生を回避し得た蓋然性が極めて大きく、従つて同人に過失がないとすることはできない。

そうすると、事故車(甲車)の運行供用者であることを争わない被告は、運転者である向後稔に右のとおりの過失がなかつたとはいえない以上、その余の事実について判断するまでもなく、免責される余地はなく、本件事故につき自賠法三条に基づく損害賠償責任を負わなくてはならない。

二  (損害)

(一)  葬儀費用等

〔証拠略〕によれば茂樹の本件事故による傷害および死亡に伴い、原告雅子は死亡時までの治療費四万五、八〇〇円、葬儀関係費用として五〇万円を超える、各支出をしたことが認められる。しかし、後記する茂樹の社会的地位、年令、家族構成等の諸事情を考慮すると、被告に負担せしめるべき、本件事故と相当因果関係にあるものはそのうち三四万五、八〇〇円である。

(二)  逸失利益 二、〇三三万七、七三二円

(1)  〔証拠略〕を総合すると、茂樹は、昭和一一年一二月生れの概ね健康な男子であつて早稲田大学国文科を中退し、角川書店に勤務した後、昭和四〇年七月頃、訴外株式会社河出書房新社に勤務し、編集等の仕事に従事し、当時は課長職にあり、毎月八万八、七〇〇円の給与を得、かつ年二回少なくとも合計月収の五ケ月相当分の賞与を得ていたほか、有限会社三崎書房の出版する雑誌「エロチカ」の編集指導を引受け、報酬として月二万四、〇〇〇円の収入を得ていたこと、ところで、同人が勤務を続けていれば、昭和四六年四月には河出書房新社における毎月の給与は九万二、二五〇円に、年間賞与も昭和四五年が五・五月、昭和四六年が七・二月となつていたはずであること、同人はこれら収入をもつて原告ら三名の家族とともに生計を維持していたこと、また、右河出書房新社には停年制度はないが、退職時には在勤一年につき給与一ケ月分相当の割合で退職金が支給されるとりきめであつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、茂樹は本件事故に遭遇していなければ、昭和四五年六月から昭和四六年三月末までは、毎月一一万二、七〇〇円の収入と、年間四四万三、五〇〇円の賞与を、その後は満六三才に至る昭和七四年一二月まで、少なくとも毎月一一万六、二五〇円の収入と、年間四六万一、二五〇円の賞与が得られたはずであり、さらに退職時においても少なくとも九万二、二五〇円の三四ケ月分に当る三一三万六、五〇〇円の退職金を得られたものと推認される。

しかしながら、茂樹のような年齢、職業、家族構成の男子は、その収入のうち三分の一程度を自己の生活費や租税等の支払いのため費消すると推認されるから、これと右認定諸事実に基づき、同人の逸失利益の昭和四六年二月六日時の現価を、年五分の割合による中間利息を判決言渡時までは単利(ホフマン式)により、その後は複利(ライプニツツ式)により算出すると、二〇三三万七、七三二円となる(なお、逸失退職金からは生活費等の控除をしない。)。

(2)  本件弁論の全趣旨によれば、原告雅子(昭和一一年一〇月一三日生)が茂樹の妻であり原告綾子(昭和四四年一月一三日生)が茂樹の唯一の子(嫡出子)であることが認められ、従つて法定相続分に応じ右逸失利益の三分の一に相当する六七七万九、二四五円を原告雅子が、三分の二に相当する一、三五五万八、四九一円を原告綾子が各相続したものというべきである。

(3)  被告は、そもそも逸失利益の相続ということはあり得ず、扶養請求権の侵害として認めるべきと主張するが、そのように解さねばならない根拠を未だ見出し難い。また、被告は、茂樹の収入の不確実性を指摘しており、同人の逸失利益算定にあたつては控え目になされねばならないことは当然であるが、公知であるところの、昨近の賃金上昇率や出版業界における大学卒業者の平均賃金に鑑み、前記認定の茂樹の収入は、稼働全期間を通じて見ると、極めて控え目な算出方法であること明らかである。さらに、茂樹が前記のような収入を続けることができるのは、配偶者である原告雅子の協力による部分があることは否定できないが、それは茂樹が生存稼働している場合にはじめて効果を発するものであつて、原告雅子の逸失利益算定にあたつてこれを考慮するかどうかは別として、死亡した茂樹の逸失利益算定にあたつては、これを斟酌すべきでないものといわねばならない。なお、被告は、茂樹の稼働可能期間経過後の生活費を逸失利益から控除すべき旨主張しているようであるが、当該期間の生活費が同人の収入をもつて賄われるか否かは明らかでないばかりか、茂樹のような立場の者も、稼働可能期間経過後、死亡するまでの間、厚生年金保険法等に基づく老令年金等の受給をし得るところ、本件ではそのような点の逸失利益も請求しておらず、また第三者による扶養もあり得るから、この点の控除の主張も理由がない。

(三)  慰藉料 計四五〇万円

原告雅子本人尋問の結果によれば、原告和鹿(本件事故当時六五才)にとつて、茂樹は唯一の実子であることが認められるところ、これと前記のような原告雅子・同綾子と茂樹との身分関係、同人らの年令に鑑みると、原告らが一家の支柱である茂樹の不慮の死に遭遇し、多大な精神的苦痛を受けたことは容易に推認され、また〔証拠略〕によれば、茂樹は前記のような勤務の傍ら、同人雑誌「地中海」の同人として、短歌を余暇とし、生前に歌集「羊雲離散」(昭和四四年度現代歌人協会賞受賞)を発刊したほか、死後にも歌集「黄金追憶」が発刊されたことが認められ、これら諸事情によれば、原告らの精神的損害を慰藉するには原告雅子について二〇〇万円、原告綾子については二〇〇万円、原告和鹿について五〇万円をもつてあてるのが相当である。

(四)  損害の填補

本件事故による損害に関し、原告雅子、同綾子が、自賠責保険より五〇四万五、八〇〇円を受領し、この内一七一万二、四六六円を原告雅子の損害に、残金三三三万三、三三三円を原告綾子の損害に各々充当したことについては当事者間に争いがないところである。

従つて被告の賠償すべき金額の残額は原告雅子につき七四一万二、五七八円、原告綾子につき一、二二二万五、一五五円、原告和鹿につき五〇万円となる。

(五)  弁護士費用

以上により原告らは被告に対し各自前記(四)後段記載の金額の損害賠償請求権を有するものであるところ、被告がその任意の弁済に応じなかつたこと、従つて原告らが弁護士である本件訴訟代理人に本件訴訟を委任したことについては当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば原告雅子において本件訴訟の着手金として五〇万円を支払い、他に成功報酬として五〇万円を支払う約束をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そして、前記のような本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らすと、右弁護士費用は、本件事故と相当因果関係にあるものとして被告において負担しなければならない。

三  結論

よつて被告は、原告雅子に対し金八四一万二、五七九円および右金員から弁護士に対する成功報酬金五〇万円を除く金七九一万二、五七九円に対する本件訴状送達の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四六年二月七日から右支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の原告綾子に対し金一、二二二万五、一五八円、原告和鹿に対し金五〇万円および右各金員に対する同日から支払ずみに至るまで同率の遅延損害金の各支払義務があるから、原告らの本訴請求は右限度で正当として認容し、その余は失当であるから各棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高山晨 田中康久 大津千明)

別紙 現場見取図

<省略>

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